「茶道」と「雑草道」

■茶道

数ヶ月前に、様々な媒体で「茶道」や「千利休」に関する特集が組まれていた。おそらく千利休に関する映画が公開されるので、それとのタイアップが目的だろう。

茶道には少なからず興味があったので、何誌か買って読んでみたら、これがとても興味深く面白い。

少し前に光明禅寺の記事にも書いたけど、やっぱり日本人は自然との向き合い方や間の取り方に独特な感性を持っており、物事のエッセンス(あえて本質とは書かない)を抽出して、それを極限まで簡素化・単純化して自分たちの生活に落とし込む能力はすごいなと改めて茶道を通して感じたね。

読んだ中でも特に面白かったのはPen Booksの「茶の湯デザイン」。「茶」にまつわる空間や道具のデザインから、茶道や日本の文化やメンタリティまで掘り下げていて、簡単に読める上になかなか読み応えあった。

ペンブックス5 茶の湯デザイン (Pen BOOKS)

■雑草道

話はちょっとずれるけど、去年からずっと部屋に植物を置きたかったんだよね。でも観葉植物だと、移動が多い生活ゆえちゃんと世話できないだろうし、エアプランツは味気ない。造花はもっと味気ない。

だったら千利休よろしくで、その日に咲いてる花をしたてるような形で飾ればいいやと思って、雑貨屋に花瓶を買いに行った。

しかし、買ってきてから問題が…。家の周りに花が咲いている場所はたくさんあるけど、考えてみたらそれを勝手に抜いて持ってきたら犯罪じゃん…(気づくのが遅い)。かといってわざわざ花屋に行って最初からきれいに整えてある花買うんじゃ面白くないし、高いし…。

しかしそんなことで千利休は諦めない(多分)

雑草だ。

雑草なら家の周りにたくさんはえている。抜いたって文句は言われまい。雑草だってどうせ不動産管理会社の清掃員に抜かれるくらいなら美しく部屋に飾ってもらったほうがいいに違いない(多分)。

足りないのではなく、あるもので工夫して(見立てて)楽しむ。それが茶道を含めた日本人の精神性であろう。花であろうと雑草であろうと、自然は全てありのままで美しいのだ。その美しさを見いだし、表現する。

…と大げさに考えつつ、適当な形と大きさの雑草を抜いてきて、入れてみた。

 

けっこう日持ちするし、自分で飾った(しつらえた)ので愛着が出て気分がいいものだ。これを「花道」ならぬ「雑草道」と名付けて追求していきたい所存。これから春に向けて雑草がどんどんはえてくるだろうから、当分素材には困らなそうだ。

「雑草のように強く美しく生きていきたい」

おしまい。