3回目の3.11

東日本大震災から3年がたった。この不気味な東京の空からも3年だ。
3年というのは実に早いものだねぇ。

3年経ってもまだまだ3.11を振り返って語れるような状況ではない。9.11の同時多発テロが10年たってやっと歴史的意味合いが総括できるように、歴史的大惨事というのは、落ち着くまで時間が必要なんだね。しかも3年たっても、まだ被災地の方々の出口が見えていないし、僕らは住む場所を失った人たちに、未だ励ましの声をかけることができない。原発があんな状況になっている以上、まだ災害は現在進行形なのだ。

ただ3年たって確実にわかるのは、「もう元には戻れない」ということだろう。原発のある福島や津波で無くなった海沿いの街だけじゃないよ。僕らの意識やライフスタイルも含め、元に戻すのではなく、新しい形で作り直すことでしか復興はあり得ない。

といいつつも実はもう僕らは変わっちゃってるんだけどね。意識的かどうかは関係なく。

震災が起こってからは、いろんなことに失望しっぱなしの3年間だった。原発のこととか、政府やマスコミの対応とか、様々な情報に右往左往させられてた自分たちまで、いろんなことに憤り、失望した。でも今思えば、こういうことで変化は起こっていくんだろうなと思う。

防災やエネルギー、食べ物や飲み物、情報、家族やコミュニティーのあり方などなど、いろんな「変化の種」を残した災害だったと、3年経った今思う。僕ら一人一人がその受け取った「種」をどう育て、活かしていくかが今後重要になっていくのであろう。悲しみや失望とともに「わかった」や「気づいた」ことがみんなあるはずだ。「見切った」という表現も適切かもしれない。

そうやって得た「変化の種」を自分らの生活に落とし込み、変えていき、自分や愛する人の命や生活を守る。また将来同じ轍を踏むようでは、今回犠牲になった方々は浮かばれないだろうからね。残された種を大切に、生き残った僕らは頑張るのだ。

そしてその変化の中に、本当の復興へのヒントもきっとあるに違いない。こうなってしまった以上、机の上で考えてても、祈っても泣いても、何も変わらないのだ。まずは実行あるのみ。

1年後につづく(かもしれない)