15年前のカッパーハーバーの記録 – 大自然と無人の街

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「今そんなところ行ってどうするの?誰もいないよ?」
「クレイジーだ」

と言われながらも、行くことにしたカッパーハーバーという街。
15年前のちょうど今頃、アメリカのミシガン州の寮に住んでいた頃だった。

アメリカでは11月の末にサンクスギビングという感謝祭の連休があって、家族や友人と集まってターキーを食べるのが鉄板なのだが、僕はどこかに旅行に行きたかった。カッパーハーバーは住んでいた寮から車で1時間くらいの場所にあり、スペリオル湖に小さく突き出した半島の一番上にある避暑地だ。

ただ「避暑地」ゆえ、氷点下になるような11月末に行く人なんて誰もおらず、完全なオフシーズン。実際行ってみてビックリしたのだが、店も営業してなければ、車も走っていない。街に本当に人が全くいない。

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僕が泊まったロッジも、当然泊まっているのは僕一人である。友人の助言通り食べ物を持ってきて本当に正解だった。

 

■本当の一人状態

僕は当時、住んでいた寮の人間関係に辟易しており、一人になりたかった。ゆえにカッパーハーバーはまさに望み通りの場所だった。大自然の中で一人過ごしてみたいという長年の夢が叶ったのだ。

ロッジから眺める風景はまさに絶景。こんなところで過ごせるなんて夢のようだ。

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しかし、そのような興奮が覚め、ふと冷静になった時、今まで感じたこともない感情がこみ上げてきた。

部屋も静寂、窓を開けても静寂。当然人の気配はないし、車の音も聞こえない。部屋にはテレビもなければネットも通じない。この「静寂すぎる静寂」は、東京育ちの僕にとって、精神的に応えるものであった。それを望んで行ったにも関わらず、人生初の完全なる「一人」にたじろいでいる自分がいた。

とりあえず部屋にいても落ち着かないので、カメラを持って外を散歩しに行った。素晴らしい大自然で、いい写真はたくさん撮れるものの、やっぱり誰もいない道というのは、心細いを超えて怖い。そして0度近い気温に、雪まじりの小雨という天気が、その心細さに追い打ちをかける。何よりも「自分に何かあっても、助けてくれる人は誰もいない」というプレッシャーは、歩いている自分をどんどん弱気にしていった。

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ロッジの近くの教会の前に、聖母マリア像があって、本気で祈ったよね。どうかお守りくださいって。

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更に部屋では、ポストペットを常時立ち上げという始末である。

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山道になんでお地蔵さんがあるのか、そもそも人類はなぜ神的なものを偶像化して祈りを捧げるのか、体感的にわかった気がした。人はやはり一人だと生きていけない上に、自然や運命が少し悪い方向に動いただけで、簡単に死んでしまう大変もろい存在だ。その事実から来る恐怖や心細さが、偶像を作る動機の一つになっていることは間違いない。


■唯一開いていたガソリンスタンド

そんな中、唯一開いている店があった。ガソリンスタンドだ。アメリカのガソリンスタンドは、コンビニ的な小さな店がついていて、そこの店は老夫婦が経営していた。

僕が来店した際のおじいさんの驚きようは今も忘れない。カッパーハーバー周辺は、ほぼ白人しかいないど田舎で、時期は人っ子一人いないようなオフシーズン。そこに車にも乗らず徒歩で客が来店した上に、それがアジアから来た外国人なのだから、驚くのも無理はない。そして僕も店に入っただけでこんなに驚かれたのは初めてだった。笑

そんな珍客におじいさんはとても親切にしてくれ、地図を出していろいろ教えてくれたり、店の物をサービスしてくれたりした。僕のヘタな英語にも辛抱強く付き合ってくれた。それから毎日ガソリンスタンドに通うことになる。

15年経った今も、あのガソリンスタンドの老夫婦を温かい気持ちで思い出すのだ。まだ生きているかどうかわからないけど、またカッパーハーバーに行く機会があったら、是非会いに行きたい。

 

■慣れれば最高

初日は孤独感を紛らわすのがけっこう大変だった。特に夜。町灯りは一切ないから、月が出ていないと、外は本当に真っ暗。「真っ暗」というより、「真っ黒」だなとその時思った。まさに漆黒。部屋の明かりに照らされている辺り以外は何も見えない。昔ヨットで太平洋を横断した冒険家の方が、一番辛かったのは夜の暗闇だったと話していたが、程度の違いはあれ、言っている意味がよくわかる気がした。暗闇と静寂に一人で対峙するということは、なかなか精神力がいるものだと実感した。とはいえ部屋まで漆黒になるのは耐えられないので、豆電球をつけて寝た。

しかし翌日からは慣れたためか、静寂から来る恐怖感みたいなものはなくなっていた。もちろん外を歩く時は細心の注意を払ってはいたが、晩秋から厳しい冬に変わろうとしていたカッパーハーバーの自然が切なくも美しく、写真を撮ってまわるのがとても楽しかった。

そうなると初日はおっかなかった自然が、まるで友人のように見えるから不思議なものだ。舗装された道から平原に入り、湖や川、森を歩いた。頬をさすような冷たい風さえ、自分の写真家魂を刺激し、モチベーションは上がっていった。こんな経験は滅多にできないから、写真とともに、風景を目に焼き付けようと思った。(当時はまだデジカメは普及しておらず、キャノンのフィルムカメラだった)

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■夢のような絶景

一人の状態に慣れたことによって、楽しくなったのは散歩だけではない。ロッジの部屋も最高だった。とにかく景色が素晴らしく、ずっと見ていても飽きない。

初日のように音楽で気を紛らわす必要もないので、ただただ窓から見える風景を、静寂とともに楽しんだ。

時間によって色や表情を変える湖。これを眺めるのも毎日の楽しみだった。特に夕刻から夜に変わる時間帯は幻想的であり、様々な色から群青、そして黒へと染まっていく湖を、限界まで電気をつけずに眺めていた。自分にとってはあまりにも非日常的な景色なので、「実は夢でも見てるんじゃないか?」と疑いたくなるくらいだった。

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確か3日目の夜だったと思うが、初めて月が出た。
月が照らす湖の美しさも去ることながら、「月ってこんなに明るかったのか!」とビックリしたのを覚えている。漆黒で何も見えなかった風景が、とてもくっきりと、美しく照らされている。まだ電気は発明されていない時代までは、これが当たり前だったのであろう。僕らは電気のある暮らしの代わりに、月の本当の明るさを知らないのだ。

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■15年たって

サンクスギビングの連休はアメリカで数回経験したが、やはりこのカッパーハーバーの思い出が強烈であり、この時期になると必ず思い出す。今回はその記録用として、自分のためにこの記事を書いてみた。

おそらくミシガンのあの地域に住む人にとっては、カッパーハーバーあたりはごく普通の景色なのであろう。そしてもっとすごい「大自然」は地球にたくさんあるはずだ。しかしずっと東京で育ち、数ヶ月前にミシガンに来たばかりの自分にとって、カッパーハーバーはまぎれもなく大自然であり、そこで一人で過ごした経験は、何事にも代え難い宝物となって記憶の中に残っている。

いつかまたサンクスギビングの時期に、カッパーハーバーを訪れてみたい。
あの頃と同じようにオフシーズンで誰もいないであろう。しかしそこで一人にビビりながらも楽しんでいた当時の自分は、記憶の中に「居る」わけで、その自分とシンクロさせるようにまた写真を撮れたら、最高に楽しいだろうなと思う。そう、つまりあの場所を歩けば、現実の世界は「一人」であっても、自分の中では「二人」なのだ。記憶の中にいる当時の僕と一緒に、晩秋のカッパーハーバーをもう一度歩いてみたい。

草原の俺

おしまい。

 

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