フレンチトーストと情報化社会の価値

ネットで「めちゃくちゃおいしい!フレンチトーストの作り方」なるものが出てきたので、今朝作ってみた。

ポイントは、卵と牛乳と砂糖を混ぜ合わせた、いつものフレンチトーストの液に、3時間つけ込むことらしい。そうすると、フワフワの美味しいフレンチトーストができあがるとか。

これはうまそうだと、早速午前中に仕込んで、ランチに3時間つけ込んだフレンチトーストを作ってみた。ついでに冷蔵庫にあったリンゴも一緒に焼いて、フレンチトースト(焼きリンゴのせ)の完成である。

食べてみたら、焼きリンゴがフレンチトーストにとても合って美味しい!
これからフレンチトーストを作る時はリンゴも一緒に焼くことにしよう。

しかしフレンチトースト自体は、まあ、そこまでフワフワもしてなく、「まあ、フツーだな…」という感じであった。

僕が何か手違いをしていたのかもしれないし、もっと料理がうまい人がやれば、「めちゃくちゃおいしい!フレンチトースト」ができたのかもしれない。もしくは情報元のサイトがPVを上げるために、タイトルを盛った表現にしただけかもしれない。

何にせよ現実は、「フツーだな…」なフレンチトーストが、そこにあるわけで、「めちゃくちゃおいしい!」の文字に期待しすぎてしまった僕は、多少の残念感である。

「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、今は「百聞」どころか「百万聞」、いや「無限聞」くらいあるバーチャルなネット社会にいる現実と、それでも「一見」という一つの結果に収縮され、目の前に現れるリアルがある現実を、フレンチトーストを食べながら実感したのであった。

なんとなく量子力学的だなと思ったけど、話が長くなるのでその点には触れない。

情報化社会で、「人類総物知り状態」な昨今だけど、そんな時こそ、現実にやってみて知る「一見」というものの価値は増していくのであろう。まるで今日のフレンチトーストに乗せた焼きリンゴのように。

おしまい。