2014年の終わりに未来の話をしよう – シンギュラリティ後の世界

2014年が終わろうとしている。世間は紅白で盛り上がっているようだ。

今年もいろんなニュースがあったけど、僕が今年特徴的だったと思うことは、やっと人工知能(AI)や、バイオテクノロジーのことを世間が認知し始めたことだ。

「近い将来人は機械に負ける」「150歳くらいまで生きる」

この2つのことを言っても、去年くらいまでは冗談程度にしか聞き入れられなかったものだが、だんだんと現実味を帯びた形で、世間に浸透してきているのではないだろうか。

ざっくり要点だけ説明すると、今AI研究は指数関数的に発展しており、このままいくと30年後くらいに、AIが人間の脳の処理能力を超える。それにともない、社会構造にパラダイムシフトが起こる。それをシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれている。

シンギュラリティの代表的な提唱者であるレイ・カーツワイルによると、「2030年には、ひとつの村に住む人間の脳(約1000人分)が、1000ドル分のコンピューティングに相当するようになる。2050年には、1000ドル分のコンピューティングが、地球上の全ての人間の脳の処理能力を超える」のだそうだ。(シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するときより)

もう何が何だかわからない世界だが、これは数世紀先のSFの世界ではなく、すぐそこにある未来だ。僕は専門家ではないので、これが正しいとは断言できないが、テクノロジーの分野で働く人たちの文脈をつなぎ合わせると、遅かれ早かれ、自分が生きている間に来てしまうのはほぼ間違いないようだ。

「近い将来人は機械に負ける」と、↓まずこういうことが起こる。
グーグルCEO「20年後、あなたが望もうが、望むまいが現在の仕事のほとんどが機械によって代行される。」|リーディング&カンパニー株式会社

人が労働から追放されるともいえるし、解放されるともいえる。いずれにせよ、ほとんどの人の生活が労働の対価のみで成り立っている社会の枠組みは、維持できなくなり、再構築せざるを得なくなるだろう。それに対する対応策は早急に議論されるべきだと思うが、まだ人々の意識がそこまでいっていないため、多少の社会的な混乱は免れないような気がする。

バイオテクノロジーもイノベーションが繰り返されていき、細胞レベルの極小ロボットが作られ、体内で異常を感知し、自動で治療したりできるようになり、人間の寿命も大幅にのびるという。更には機械が実際に細胞のようになって体内で機能し、不老不死さえも今世紀中に実現するかもしれないらしい。あとは人間の脳とコンピュータを接続することで、超人的な能力を発揮できるようになったり、人の記憶そのものをサーバにアップロードしてクラウド化したりと、話はどんどん広がっていく。

専門外の一般庶民にしてみれば、まるで映画の中の話のようだが、指数関数的に技術革新が進むのなら、そのスピードに人々の想像が追いつかないのも無理はない。大切なのは、そういう時代に生きていることを自覚することだろう。その上で改めて想像することだ。

シンギュラリティによって世界は新たな局面に入る。人類の歴史的なパラダイムシフトを僕らは目の当たりにするのだ。人類はついに労働から引き離された上に、寿命も大幅にのび、生命すらもコントロールできるようになるかもしれない。そして機械が人体と融合することで、その2つの境目も限りなくファジーになっていくに違いない。

それらが本当に実現したら、人間の価値とは何か?自分とは何か?そのような哲学的な問いを迫られる時がやってくるであろう。そして世界全体が壮大なガラガラポンを起こした時に、自分はどう考え、どう生きるか、なんてことも考えておいたほうがいいかもしれない。僕は今6歳の息子がいるので、いずれ重なるであろう彼の将来と、シンギュラリティ後の世界の関係性を、今から意識せずにはいられない。

専門家の間でも、様々な側面の意見が出ているが、僕はけっこう楽観的に考えている。世界は常に「使う人」と「使われる人」に分かれる。テクノロジーも同様だ。このすごいイノベーションを使えば、ヤバイくらい面白い世界が広がっているのではないかと考えている。具体的なことは長くなるので書かないが。

この世は「諸行無常」である。無常の精神でいけば、変化を受け入れ、その先にある好奇心に素直になれるだろう。明日から始まる2010年代後半は、シンギュラリティというワードはもっと浸透してくるだろうし、実際変化も現れ始めてくることだろう。どんな変化が起こるのか、そしてどんな世界が待っているのか、そんなことを考えつつ、大晦日の夜は静かにふけてゆく。

皆さん良いお年を〜。

 

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