物事を分解して解釈するライフハック

海を見ながら読書するのが気持ちよくなってきたこの季節、皆さんいかがお過ごしですか?

福岡は海がきれいに見えるのに人が全くいないという、絶好のロケーションがいくつかあります。そんな場所で平日の昼間に一人でボーッと海を眺めて、ふと我に返ると、そこはかとない「浮世離れ感」を感じるものです。ただそれで寂しいとかいう感情は一切なく、どちらかといえばそんなアウトサイダー感が心地よく感じる、(日本人らしからぬ)変わった性格と学生の頃からいわれます。

そんな自分でも説明できない性格を、うまく説明してくれるサイトがありました。
16Personalities

テスト結果も去ることながら、僕が感心したのはその文章表現で、英語から翻訳したからか多少変わった部分はあるものの、非常にうまくその性格の特性を表現していたのが印象的でした。(僕は建築家タイプでした)

その中でもなるほどなと思ったのが下記の文章。

時には、触れるアイデアやシステムすべてを、完璧主義的な感覚や道徳感覚さえ用いて、夢中になって分解し、再構築しているかのように見えます。

完璧主義か道徳的かはさておいて、物事を「分解」しているのは確かにそうで、激しくうなずいてしまった次第です。

■この世界は多面体

この記事(スタバでこの世の解釈問題を考える)でも書いたように、自分の生きているこの世界は、「自分がいかに解釈するか」で形作られる、リキッド的な「可変」世界です。同じ事象であろうと、解釈しだいで世界の見え方は変わります。

そしてこの宇宙のあらゆるものは、すべて光と影の両極を持っていることは、物理学的な観点から見ても明らかです。僕らはそんな多面体の構造である物事のどこか一面を見て、喜怒哀楽を判断しているに過ぎません。

よって不幸を自称しているようなネガティブな人は、物事の影の部分にフォーカスして悲観しているだけであって、僕からは自爆しているようにしか思えません。かといってポジティブがいいかといえばそうでもなく、けっきょく一側面を見ているに過ぎないわけだから、ポジティブ至上主義は不自然なやせ我慢のように見えてしまうんですね。どちらにせよバランスがよくありません。

■物事を分解して解釈に落とし込む

そんな多面体に対して、僕はできるだけ多くの側面や源泉を、思いつくだけ考えてから、自分にとって最適化された解釈に落とし込む行為を無意識にしていると思います(外側から見れば単なる優柔不断ですが…)。その行為に対して、性格テスト結果の「分解」という表現は、とてもしっくりくるものがありました。

宇宙は何事も「不確定」で、予測することは不可能です。物事が必ず自分の都合の良い方向に転がってくれるかは不確定であるどころか、現時点での僕の都合が正しいかどうかも常に流動的であり、答えはありません。ゆえにどんなに自分の都合の良い方向にいっても、調子に乗りすぎず、悪い方向に行ったら最小の労力でリカバーできるような、フラットな体勢をキープしておくことが、「最も都合がいい」生き方だと思うわけです。どんな物事にも良い面と悪い面は必ずあるので、分解して理解して、ちょうどいい間をとることです。(物事の本質は「間」にある

こんな感じなので、僕は物事に対して、他人や社会の評価はあまり気にしないどころか、その評価から逆の観点で眺めるクセがついています。周りから見ればひねくれ者のように思われるかもしれませんが、自分的にはそれが最もフラットな見方だと思っています。というのも他人や社会の解釈を真に受けて考えることをやめれば、解釈の多様性を失い、結果自分の世界を「見失う」ことになります。そういう人、かなり多いように思いますし、しばしばそれで社会全体が悲劇的な方向に向かってしまったことも、歴史を見ればわかります。

そうやって物事を分解しながら、自分の解釈で世界を作っていくと、他人の目や無用な感情に振り回さず、手放すものは手放して、大事なものには集中できるので、なかなか面白く快適な生活が送れるような気がしているのですが、まあこれは僕の解釈ですので、他の人はどうかわかりません。

ただ少なくとも、分解して考えた結果、今はメインストリームから距離を置き、マイノリティ側にいたほうが良いと判断している、すなわち、ボーッと海を眺めながらプチ浮世離れしているほうが、自分的には都合がいいと思ってこうやっていることだけは確かなようです。

かなり無理矢理な結論になってしまいすみません。

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