子どものいじめへの対応策・解決策を、親目線で考えてみた記録

先日、また中学生がいじめによって自殺してしまったニュースを聞きました。今年から息子も小学生になり、そろそろ他人事ではなくなってきた今日この頃、親として心を痛めつつ、彼が学校という閉鎖的な社会の外に、多様性のある広い世界があることを知っていれば、違い結果になっていたのではないかと悔やむ気持ちがあったりします。

少し前に朝日新聞で、「いじめられている君へ」という、著名人がいじめをテーマに考えを語るコーナーがあり、僕もたまに見ていたのですが、東京海洋大客員助教授のさかなくんの文章に大変感銘を受けました。今回の考えと関係が深いので、全文掲載させていただきます。

広い海へ出てみよう

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。(さかなくん=東京海洋大客員助教授)

僕はいじめに関して、下記3点の仮説を持っていたのですが、それらがさかなくんが語った「魚のいじめ」と見事にシンクロしていたので驚きました。

1. いじめや差別といったものは「縄張り争い」という原始的な生存競争に根を張っており、どの生物にも本能的に携わっているのではないか。

2. そしてそれは、さかなくんのいう「せまい水槽」のような、有限のスペースでパイの取り合いになった時に、発生してしまうのではないか。

3. さらに「せまい水槽」同様、学校の教室や職場のような、好き勝手に退出ができない、いわば出口のないスペースでエスカレートしてしまうのではないか。

僕はの理由で、世界からいじめがなくなることは不可能だと思っています。人が「やってしまう」ことには、必ず本能的な理由があり、これを変えることは、脳の配線を変えるようなことをしない限り無理だからです。しがたっていじめを理性的な道徳観に基づいた善悪で断じたり、因果的な原因を探っても事態がよくなることはほとんどありません。もちろん度が過ぎれば、関係者を司法の場に引きずり出し、社会的な制裁を加える形で食い止めることもできるでしょう。しかしそれは事後処理的なもので、根本的な解決にはなりません。

そう考えると今のところ、できることは一つしか思い浮かびません。イジメを誘発するのような環境からなるべく遠ざかることです。

会社をやめてフリーランスになった時に、人間関係のストレスや悩みなんてものは、離れてしまえば勝手にすべて解決してしまうものだと実感したのを覚えています。有限のスペースの中で発生する人間関係の負の側面は、スペースを出てしまえば自動的に消えてしまいます。とはいえ息子は、これから10年以上、学校という有限のスペースの中で生きていかなければならず、そこで人間関係の難しさを半強制的に学んでいくことでしょう。学びという側面で見れば、多少のいざこざはむしろ歓迎することかもしれません。

そんな中僕ら親ができることは、その人間関係の学びの中で、いじめに発展してしまった場合、のようなことを避けるために、どこかに「出口」を作ってやることだと思います。具体的にいえば、教室の外には多様性のある広い世界があることや、フリースクールなど他の選択肢があること、そして転校を含めた息子の新たな選択肢に、親も合わせて対応できることを教え、準備しておくこと、なのではないかと思います。

前述のように、いじめの原因は生物としての本能的なものから来ている以上、道徳や理性的な善悪のメスで完治するようなものではありません。有限のスペースという条件下で、誰もが関係しながら、自然的に醸成された空気の中で発生するものと考えれば、原理的には自然災害に極めて近い「現象」だと思います。もちろんやられたほうからすれば、感情的に納得いかないところもあるでしょう。しかしそのくらいの割り切って考えたほうが、合理的な判断ができるような気がするのです。

以上のようなことを、さかなクンの「魚のいじめ」の例を見て考えたのですが、皆さんはいかがでしょうか。魚も人間も、狭い世界に閉じこもるのはよくないですね。広い世界を知り、可動性を担保できる生き方を模索することが、いじめを含めた様々なトラブルへの最も有効な対応策・解決策のような気がします。

ということで僕もさかなくんの文章と同じ表現で締めたいと思います。
広い空の下、広い海へ出てみましょう。

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