高級ホテルだった日本が、格安になった話

アメリカに滞在していると、日本では考えられないようなサービスを受けることがしばしばあります。店員に冷たくあしらわれたり、約束通りにしてもらえなかったり、交通機関が遅れることも日常茶飯事です。

最初は面食らいますが、長く住むようになると耐性がついてあまり気にならなくなるものです(僕の場合ですが)。そんな環境から日本に帰国すると、サービスの丁寧さたるや、まるで天国のように感じました。

日本は高級ホテルだ。金はかかるけど、サービスは親切丁寧、インフラも整ってて、どこも清潔、そして治安も良い。日米を往復しながら、そんな風に思ったものです。

それから10年以上の月日が経ち、日本のデフレが進んだ結果、物価が欧米よりも安くなり、経済発展著しいアジア諸国とも肩を並べるほどになりました。

まさに金のかからない格安高級ホテルです。数年前は物価の安い東南アジア移住を本気で考えたこともありましたが、今は日本に住むのがコスパ最高!と思っています。

まあただ客として日本に住むのは最高ですが、サービス提供側となると話は別ですね。

昔住んでいたフィラデルフィアの街に、去年行く機会がありました。そこで当時よく通っていたダイナー(食堂)に行きました。深夜もやっているダイナーは、夜型の僕には助かりますが、やっぱり深夜だけにサービスもそれなりです。ただ安いですから、文句はありません。

一方、数日前、同じく深夜に入った日本の某牛丼屋では、定員がお客に頭を下げていました。呼んだのに店員が出てくるのが遅かった、というのがその理由らしいです。高圧的な物言いをするそのお客は、牛丼屋のサービスに一体いくら払ったのでしょうか。そして頭を下げている店員の報酬はいかほどなのでしょうか。

格安と謳われる商品やサービスは、必ずその「わけ」があります。時にその「わけ」は、どこかに無理や歪みを生じさせるものです。最近はやりのファストファッションは、生産側である途上国の貧しい人々の労働環境に、そのしわ寄せがいっているとしばしば議論になります。

それと似たようなタイプの歪みが、日本国内でも起きていると、日々の生活やニュースを見ていると思います。ただ日本の場合、問題の本質は労働環境や賃金ということよりも、労働やサービスに対する意識レベルの閾値が異様に高く、報酬に見合わない奉仕、犠牲が労働者に要求される点にあるのではないかと、アメリカのダイナーと、日本の牛丼屋のサービスを見て思うのです。

真面目な国民の労働観が支える、コスパ抜群の格安高級ホテル。レベルは高いですが、そこに哀愁じみた世知辛さと、負荷によるきしみが気になる今日この頃です。アメリカに慣れた自分的には、もう少し気楽に働けるような寛容さがあってもいいような気がするのですが、やっぱそれはこの国では許されないんでしょうかね。

 

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