9.11から10年たって

今からちょうど10年前の朝、その日は湿気もなく、からっと晴れた気持ちのいい気候だった。僕はアメリカのフィラデルフィアという街のアートスクールで、これから始まる期末試験に関する講師の話を聞いていた。まだアメリカに来て半年くらいで、講師の話すくせのある英語がよくわからず、とりあえず早く終わらせて近くのフードコートでハンバーガーが食べたいな~なんてことを考えていた。

すると突然警備員らしき男性2名が「乱入」という言葉に近い形で教室に入ってきて、講師の話を遮るように、何かを話し始め、教室は騒然となった。

そして突然授業は終了、学校はクローズになり、学生はみんな足早に教室を出て行った。

英語がよくわからない僕は、何が起こったかわからず、一人席で唖然としていると、それを察した講師が僕をパソコンの前に呼んだ。そのモニターに映し出されていたのは、黒煙を上げて今にも崩れ落ちそうなワールドトレードセンターだった。
ハイジャックされた飛行機がワールドトレードセンターに突っ込みビルもろとも爆発。僕もみんなと同じように、これを現実と捉えるまで、少し時間がかかった。

どうやらワシントンのペンタゴンにもハイジャックされた飛行機が突っ込んだようだ。大規模なテロリズムにアメリカがさらされていること、そして自分の身にも降り掛かるかもしれないという「恐怖感」をリアルに体験したのは初めてだった。

フィラデルフィアは日本ではあまり有名ではないが、アメリカで最初に誕生した街であり、元首都であり、アメリカ民主主義を生んだ街でもある。ワシントンが独立宣言を行ったインディペンデンスホールなど、アメリカの歴史的建造物が集中している、アメリカの京都みたいなところだ。そしてちょうどNYとワシントンの間にある街でもあることから、次に飛行機が向かってくるのはフィラデルフィア、というシナリオはかなり現実味があったし、実際市内にいた人々も口々に言っていることだった。


大きな地図で見る

その当時はまだ状況が全く把握されておらず、ハイジャックされた飛行機が数機飛んでいるとか、テロリストが地下鉄に乗ってこっちに向かっているとか、いろんな情報が錯綜。学校の前にある高層ビルからは、逃げるように人々が出てきた。市内の店はいっせいにシャッターを閉めた。そして道は川を挟んだ対岸にあるニュージャージー州に逃げる車で渋滞していた。いわば絵に描いたようなパニック&非常時状態だった。

クローズになった学校

学校の目の前にあった高層ビル。

街の様子
ただ、僕自身はそれで恐怖を感じていたというよりはむしろ、間違いなく歴史的な日となるであろうこの瞬間に、現地に近い場所で立ち会えたことに運命を感じ、なるべくこの時を記録しようと、市内を歩き回ることにした。

その前にとりあえず自宅に戻り、国際電話で母親に無事を知らせ、テロ情報を日本語サイトでチェック。日本も今頃テレビはどこも特番で大騒ぎなんだろうな、と思いつつすぐに自宅を出た。というのも、自宅はフィラデルフィア市内の中心部にある高層アパートだったので、その日に限ってはとても安全とは言えないのだ。なので飛行機がくる前にカメラを持って脱出!
朝と変わらず、さわやかに晴れた気持ちいい気候。しかし街は非常事態だ。パトカーのサイレンは鳴り響き、車は渋滞。テレビ局も取材に追われていた。

ぼやの様子を撮るカメラマン

そこにちょうどいいタイミングで、ビルのぼや騒ぎなんかあるものだから、僕らからすれば「ついに来たか!」という感じだった。単なるぼやだったみたいだけど…。

街の様子

ぼや

消防士
そんな緊迫ムードなストリートを抜け、公園にいくと、風景は一変した。こんなふうに↓

公園の様子

犬の散歩をする人、風景画を描いている人、木陰のベンチで昼寝している人など、「キミたちNYで何が起こってるのか知っているのか??」と聞きたくなるほど、いつも通りの平和な空気が流れていて、拍子抜けした僕は、思わず一緒に木陰のベンチで一休み。笑
そんなこんなで飛行機は来ないまま日が暮れていき、歴史的大惨事となった2001年9月11日という日は終わった。ニュースによると、ハイジャックされた飛行機がもう一機、ペンシルベニア州ピッツーバーグ郊外に墜落したらしい。この一機がフィラデルフィアに向かっていたのではないか、とフィラデルフィア市民なら今も思っていることだろう。

木陰の気持ちいいベンチに座りながら、ふと思った。この平和な日々はおそらく今日で終わりだろうと。もちろんその後のアフガニスタン、イラクで何が起こったかは言うまでもない。アメリカ国内はミサイルは飛んでこなかったが、テロの後遺症と、またいつテロが起きるかわからない恐怖、そして戦争へと突入していく不穏な空気に包まれた生活が始まった。9.11までのアメリカは、寛容で、ほのぼのした雰囲気があったが、この事件を境に、僕ら外国人にも厳しい管理の目が向けられた。
9.11以降のアメリカには、ホント失望することが多かったし、あのテロさえなければもっと楽しく生活できたに違いない。しかし10年たって思えば、事件後のあの空気、そして戦争へと向かう国の雰囲気を肌で感じることができたことは、ものすごい財産になったと思う。

僕は9.11の事件が「解決」してほしかった。戦争も紛争も終わってほしかった。そうすればイラクもアフガニスタンも、「過去のもの」として話せるような、「安定した」世界が戻ってくるのではないかと思っていた。要するに9.11からの世界をある種の「非常時」として捉えていて、「いつか終わるもの」と考えていた。しかし残念ながら、その非常時は「デフォルト」となって、イラクもアフガニスタンも戦闘で死者が出ることが日常となってしまった。

そして今、日本もまったく解決していない&解決の糸口も見えない大問題を抱えている。日本以外の世界の国々でも、解決できぬままの大きな問題がふくらみ、今まさに「非常時」に突入しようとしている。

21世紀初年度に起こった9月11日の大事件を解決できぬまま、時代は新たな、そして複合的な「非常時」へと向かっている。そしていずれその非常時が大きくなり、膨らんでいくこと自体が「デフォルト化」していくのではないか…。それが僕が今、3月に大事件が起こったまま、どんどん悪化していく非常時な国で暮らしながら強く感じることだ。

しかしそれを嘆いていても何も始まらない。9.11の爆発で始まったこの世紀を、僕らは精一杯生き抜くしかない。もう20世紀の「安定」や「平穏」という幻想はリミットを迎え、泡のごとく消えたのだ。非常時を生きる強さと、非常時であっても木陰のベンチで昼寝できる心の平穏の両輪で、楽しんでサバイブする。もうそれしかないと思っている。そのために、生き方と考え方の抜本的な「チェンジ」が必要になることは間違いないだろう。

頑張ろう日本。頑張ろう人類。21世紀は、まだ始まったばかりだ。

おしまい。