これからの疎開の話をしよう

3.11から続く原発事故を受け、まだ3歳の息子をこれ以上放射能のリスクにさらすのは嫌なので、ワイフの実家がある九州の佐賀にしばらく疎開することにしました。(でも実家に住むわけではありません)

せっかくなので、その疎開の様子を、このブログに記録しようと思いつつ、その前に今回の疎開に対する自分の考えを書いておこうと思います。

■僕は疎開絶対論者ではありません。

もちろん放射能が危ないから逃げるんだけど、だからと言って「東京にいる子を持つ親は直ちに疎開すべきだ!」みたいな主張をする気はありません。

もちろん微量といえど放射能は来ているわけだし、放射線に汚染された食物を口する可能性も、現在の管理体制を見る限り、かなり高いと思わざるを得ない状況なので、逃げるに越したことはないと思います。でも逃げることによるリスクも当然あるわけだし、数年後、結果的に「逃げる必要なんかなかったね」ってことにもなるかもしれない。ていうかそれが一番いい結果であって、そうなることを望みます。

しかし「そうならないかもしれない」。

現段階では誰もわからない。だから危険だ、安全だ、という議論に、僕はそこまで興味はありません。

親として、我が子が健康に人生を送れないことは死んでも避けたいことだし、その可能性が少しでもあるならば、それを避けるアクションを起こすことは当然のこと。子どもをリスクから遠ざけることは、僕らの精神的なリスクを軽減することでもあります。だから、子どものためでもあり、自分たちのためでもあるんですね。

子どもを外で思いっきり遊ばせたいし、美味しい食べ物をたくさん食べさせたい。その度に、放射能がヤバいかも…、なんて心配したくないんです。残念ながら、その心配な生活はしばらく収まりそうもないので、その間は、住む場所を移す。それだけの話です。

 ■21世紀型サバイバルライフに向けて

僕はこのブログでもよく変化に対応する生き方の重要性を述べてきたつもりだし、3.11でなおさらその思いは強くなりました。

これからは、物を溜め込んで、一つの場所にとどまるのではなく、必要最低限の物だけを持ち、いつでも移動できる身軽さを確保することが、変化の世紀であり、おそらく「自然災害の世紀」となるであろう21世紀を生き抜くには最も大切なことだと思っています。

危機的な状況は福島だけではない現実を知ってしまった以上、もう日本に安住の地はないと思ったほうが「安全」でしょう。地震が活動期に入り、温暖化で「想定外」の自然災害も多発するようになると言われています。そして原発は動き続けています。僕らはそんな時代を生き抜かなくてはなりません。

災害だけをとってみても、最大の自己防御は、環境的にも、精神的にも、「動ける」「逃げれる」状態を作っておくことでしょう。幸い何も起こらず、ずっとその地で暮らすことができたとしても、「何かが起きたらどうしよう…」と不安を持ち続けて暮らすことが、僕は幸せとは思えません。何かが起きた際の「選択肢」を複数確保しておくことが、生活の「安定」には不可欠だと思います。

むしろ移動すること、変化することを楽しめるメンタリティとバイタリティが何より必要であり、それが21世紀を楽しむ唯一の鍵なんじゃないかと思います。

でも、そんなこと口で言うのは簡単で、そういうことを意識しただけで解決する問題ではないわけで…。

やっぱり実際に行動し、体験して、自分の身体に経験として擦り込ませていくしかないと思うんですよね。今回の疎開に関して、やっぱりリスクはあるし、当然不安な部分も不都合な部分も、そして周りに少なからず迷惑をかけてしまい、申し訳なく思う部分も多々ありましたが、けっこう早い段階で決断できたのは、僕とワイフに、そういう共通意識があったからだと思います。

今回の疎開で感じる、苦労やストレス、そして失敗体験といった負の部分でさえ、いずれ経験という血と肉に変わっていくだろうし、これからの生き方に必ずプラスとなってくれるでしょう。

という期待を込めつつ、僕を乗せた九州行きの飛行機は飛び立ちました。

飛び立った飛行機の車窓から