としまえんの中心で平成時代をしのぶ
息子ととしまえんのプールに行ってきた。
少し前に、息子がとしまえんのウォータースライダーの画像を見つけて僕に見せてきたので、東京に戻った際に行くことを約束していたのだ。
記録的な猛暑だったが、その分プールは気持ちよく、息子はウォータースライダーを含め、存分に楽しんだ模様。お父さんも満足である。
しかしながら何より印象的だったのは、としまえんの「寂れ具合」だった。
僕が子どもの頃は、としまえんのプールは大いに人気があり、何種類もあるプールは芋洗状態で、ウォータースライダーも長蛇の列ができていた。そして園内も人で溢れており、人気のアトラクションは1時間待ちも珍しくなかった。
ところが数十年ぶりに訪れた夏のとしまえんは、夏休みの週末にも関わらず、この状態…。
入り口に来た時は、今日は休みなんじゃないかと思ったくらいに人影まばらだった。プールにはそれなりに人はいたけれども、足の踏み場もないくらい賑わっていた最盛期とは比べものにならず、たくさんあったウォータースライダーも、半分以上閉鎖されていた。
プール以外のエリアはもっと悲惨で、サイクロンやフライングパイレーツといった当時人気で長蛇の列ができていた乗り物が、ならばずに乗れてしまう状態。賑わっていたゲームコーナーも半分以上閉鎖され、ベニア板で覆われている光景が何とも哀愁を誘う。
何も知らずに楽しむ息子の横で、僕は昔の面影残る寂れた園内を眺め、切なさに浸っていた。
年間パスを買ってもらい、毎月のように友達ととしまえんに遊びにいっていたのは、時代が昭和から平成に変わった頃だった。
当時はバブル真っ只中。巷ではランバダというどう見ても日本人では様になりそうもないダンスが流行り、としまえんもド派手なアトラクションが次々登場し、ディスコ調の電子音楽がけたたましく流れていたのを思い出す。
それから約30年。あの頃の装飾はそのまま寂れ、建物の壁は色がはげ、園内は人もまばらで、乗り物の無機質な動作音だけが響いている。
バブルから始まり、失われた30年と言われた平成が終わろうとしている。その時代の入口と出口を、定点観測しているような気分だった。突如はじけてしまった繁栄の再生を夢見つつ、衰退していった日本の平成時代を、としまえんは象徴しているように見えた。
思えば平成のはじめに少年だった自分も、父となり息子を連れてとしまえんを歩いている。日本も自分も変わったのだ。賑わっていたとしまえんの思い出も、バブルと言われた平成初期の喧騒も、遠いかなたに消えてゆく。
今後平成が日本の歴史の中でどうのように解釈されるのかはまだわからないが、僕の中の平成時代は、まさに今日のとしまえんだ。詳しくは語らなくとも、この30年間によるとしまえんのコントラストに、日本の平成時代という物語が記述されている。
ありがとうとしまえん。さようなら平成の夏。
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