シーラカンス

Coelacanth

おかげさまで今日35歳を迎えることができた。

 

誕生日のような節目の日には、毎回人生にことを考えてしまうものだけど、今回のタイトルをなんで「シーラカンス」にしたかと言うと、人の奥の奥のふかーい奥底に、シーラカンスがいて、ずっとそのシーラカンスと生きてきていると僕は思っているから。

 

そのシーラカンスは生まれる前から僕の中にいて、僕が何をしたいか、どう生きたいかを最初から知っているの。そして僕がこの世に何をしに生まれてきたかもすべて知っている。

 

僕だけでなくて、人間には誰でもそんなシーラカンスが必ずいると思うんだよね。

 

子供の頃はみんなそのシーラカンスと簡単に話ができて、気軽に動けて、毎日楽しく過ごせる。しかし大人になるにつれ、シーラカンスとコミュニケーションをとるのが難しくなる。

 

そしてほとんどの人は彼らのシーラカンスに耳を貸さなくなり、いずれシーラカンスの存在すらも忘れてしまう。

 

なぜならシーラカンスはどう生きればいいか知っていて、何をしに生まれてきたかも知っていて、いつも教えてくれようとするけど、シーラカンスはそれを言葉で説明がすることができないから。

 

だから言葉で説明できないものを認めない社会にフィットしようとすればするほど、シーラカンスの声は届かなくなる。「なぜそれをするのか」とか「それをしたらどうなるのか」とか、そんな永遠に解けない穴埋め問題に終始し、人生の迷路にハマったまま出られなくなる人もいる。

 

幸い僕はシーラカンスとたくさん話をしていた頃のことをよく覚えているし、自分の奥底からわき上がってくる彼のメッセージを今も感じることができる。そして大人になってそのメッセージを実行に移せる力もついた。だから今が一番楽しくて一番面白い。

 

今年も、そしてこれからも、僕がやろうとすることは多分うまく説明できないだろうし、僕自身もどうなるかわかっていない。

 

でもシーラカンスは何でも知っているから、自分の奥底にいるシーラカンスに耳を傾け、シーラカンスがどこに行きたがっているか、それだけに従えばいいと思ってる。人からどう思われるかとか、その他のことは全く関係ない。人生は短いからよけいなことを考えている時間はないからね。

 

シーラカンスが望む方向へ、帆を張り舵を取る35年目の春。今年もがんばります。

 

おしまい。