光明禅寺の紅葉と日本の自然観
3週間くらいたってしまったけど、この間太宰府に紅葉を観に行った。
太宰府といえば天満宮が有名だが、僕はその近くにある光明禅寺というお寺が好きだ。絢爛豪華な天満宮に比べて、小さくて質素なお寺だが、それゆえに日本のわびさび的なデザインを感じることができる。
そしてここの庭の紅葉がまだ見事なのだ。
紅葉の美しさも去ることながら、日本人がいかに自然を尊重し、自然との調和を意識してきたか、このお寺に来るとよくわかる。
西洋の庭園も美しいが、やはり一神教である彼らのメンタリティは、人間と自然とは別であるという二元論に立っており、神が形を似せて作ったとされる人間が上位で、自然は下位という構造が見て取れる。それは建築と同様、自然すらも数学的な美しさを適用され、コントロールされているからだ。
数学的なデザインは確かに見栄えはいい。しかし円柱的な三角形に刈り取られた木々が規則正しく並べられているような様は、何となく表面的で、日本的な感覚を持っている自分から見ると、自然がどことなくかわいそうに思えてしまう。
その点日本の伝統的な庭というのは、寝ている石は寝たまま配置したり、自然のありのままの姿、いわゆるランダム性を崩さず調和をとることに力点を置いてデザインされている。数学的な美しさはないけれども、その日本的デザインは、むしろ自然のランダム性をも計算しているかのような、深いところでの数学的な美しさすら感じさせるものだ。
それは万物に神が宿るという神道をベースに、仏教の相互共存の思想がミックスされ熟成されていった「自然観」が成せる技であり、日本人の優れた技術やデザイン性というのは、こういう部分から育まれていったのではないかと思っている。
この光明禅寺は、庭だけでなく、随所にそのようなデザインを見ることができてとても勉強になる。太宰府に来られた際は、天満宮とともに、訪れてみれはいかがだろう。