忘年会と外向的・内向的な性質

仕事納めな今日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

会社員時代のこの時期は、お正月休みを目前に控え、忙しながらもワクワク感やホッとした感があって、なかなか気分が良かったことを思い出す。

ただフリーランスになると、あの時のような高揚感はなく、ただ淡々と仕事を終え、一息つくような感じだ。

高揚感はないけれど、一人静かな夜を過ごせるのはとても嬉しい。なぜなら会社員時代はそれができなかったから。仕事が納まったらそのまま忘年会(もしくは納会)に行かなくてはならない。参加の義務はないが、出ないで帰るという選択肢はないということは、日本で会社員をやったことがある人はご存知のことだろう。

僕はそんな強制参加的な組織の飲み会がどうしても苦手だった。それは会社が悪いわけではなく、人が集まっているところが苦手という自分の体質によるものだ。大勢でガヤガヤ騒いでいるところにいると、疲れて帰りたくなってしまう。

この世には外向的な人と、内向的な人がいるらしい。

ざっくり説明すると、外向的な人は字のごとく外に向けてオープンで、人と話したり、騒いだりするのが好きな人。内向的な人は逆に、人と話すよりも、一人で行動したり、ものを考えたりするのが好きな人、となる。

ちなみに「内向的」と「内気」に関連はない。時に内向的な人は振る舞いからシャイに見られがちだが、シャイは性格的なもので、その人が持っている性質とは異なる。

わかりやすいポイントは、内向的な人は、人とコミュニケーションをするのに「パワー」が必要で、そのパワーを使ってしまうと、一人になって休息する時間が必要になる。年中大勢で騒いでいられる外向的な人とは、その部分が大きく異なる。

そして何より重要なことは、その性質は生まれる前からDNAで決まっており、「変更することはできない」ということだろう。

言ってみれば、この世には、一人で静かに過ごす星から来た人と、みんなでわいわい過ごす星から来た人がいる、ということになる。

得てして世間は外向的な人間を基準に組み立てられており、子供の頃から外向的に生きることを求められるがゆえ、内向的な人間には何かと生きにくい世の中だ。師走のような飲み会ラッシュの時期に、苦労するのは彼らである。しかし内向的な人間は、人と話すのが苦手な分、一人で集中して物事に取り組むのが得意なため、それをうまく活かせば評価を獲得することができるだろう。世間から成功者と呼ばれている人でも、内向的な人間はたくさんいる。

問題なのは、内向的な部分をコンプレックスにしてしまったり、外向的のように偽って生きることだろう。どちらも余計なストレス、苦労を抱えてしまうことは間違いない。そして他者に外向的に生きることを強いることもよくない。この世は違う性質を持った人間が、お互いの役目を果たしながら成り立っている。そこに優劣というものはない。どちらも必要であり、それが必然なのだ。

おそらく今日も、忘年会で騒ぎ、2次会で朝まで騒ぎ倒す人もいれば、会が終わったらさっさと帰宅する人もいるだろう。どちらも違う星の住人ゆえ、「ノリが悪い人」「面倒くさい人」などと、お互いを嫌悪しがちである。しかし外向的・内向的の概念がきちんと世間に知られれば、もう少しお互いを理解し合って、楽に過ごせるようになるのではないだろうか。というかそうなってほしい。

外向的な人は朝まで楽しめばいいし、内向的な人は無理せず帰宅して、一人でリラックスすればいいのだ。お互いがそれぞれの性質に配慮し、一定のボーダーラインを引いて楽しめば、もっとみんなで爽やかな年の瀬を迎えられるはずだ。

内向的な僕は今年も忘年会には一切参加せず、今日も部屋で読書をして寝るのである。やっぱりフリーランスは僕の天職のようだ。

おしまい

 

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