午前中の幸せをたずねて三千里
快晴、涼しく、湿度も低く、穏やかな風が吹き抜ける。
9月の福岡はこれ以上ないくらいのパーフェクトな天気が毎日のように続いた。
目覚めて窓の外を眺めるだけで自動的に幸せになれる最高の季節だ。
そんな日は僕のフェーバリットパーク大濠公園ほど居心地のいい場所はない。
よくある朝活に関する記事を読むと、だいたいこんなことが書いてある。
朝は仕事のベストタイミングなので、午前中は集中して仕事をこなすべき。
多分正しいと思う。でも自分的にはそんなの冗談じゃないと思うね。
こんな素晴らしい空の下、朝の澄んだ空気と若い太陽の光を浴びずに、家の中で作業するなんてもったいないにもほどがある。
自分にとって午前中は「幸せを感じる時間」だ。
朝の心地よい空気と風景に触れながら「生きててよかった」と思いつつ、限りある人生の時間をきれいな色に染めるためにある時間である。
そのために仕事が終わらなければ深夜までやるし、その後睡眠時間を削ってでも朝起きて大濠公園に向かう。
そんな「意地でも心地いい時間を過ごす」自分が出来上がったのは、10年前に住んでいたアメリカのフィラデルフィアという街だ。当時僕はその街のアートスクールに通う学生だった。
この街も近所にRittenhouse Squareというきれいな公園があって、中心街にあるわりには静かで、緑も多く、市民やビジネスマンの憩いの場所だった。
特に春になると公園を覆う木々の新緑がまぶしく、揺れる木漏れ日の下で春の暖かい風を感じているだけで最高の気分だった。こんな心地いい朝に学校に行くなんてもったいないと思い、教材や画材の入った重いバッグをベンチに置いてランチまで読書していることもあった。
勉強なんていつでもできる。学校じゃなくたってできる。でも今日のような心地いい日はもう二度と来ないかもしれない。だから今日は休んで当然。…という大学生の自分の理屈は、10年以上たった今の自分でも全力で肯定できる。
それでも日本の会社に就職してからは、さすがにそんなこといってられない激務な数年間を過ごすことになったけど、予定通り(思惑通り?)会社を辞め、またこの午前の幸せな時間に戻ってこれた。
だからなんでフリーになったの?って聞かれたら
「午前中幸せを感じるためです」
とか答えるのもアリだな〜と思ってる今日この頃です。
まあどうでもいいんだけどね。
朝の大濠公園が心地いいからそんなことはどうでもいいんだ。
おしまい。