関係性の中の自己と3.11

先日、用があって2週間ほど東京に戻っていた。
仕事をすませ、終電間際の電車で自宅の最寄り駅につくと、真冬にしては暖かい夜風が吹いていたので、少し遠回りして帰ることにした。

母校の小学校まで足を伸ばし、そこから当時の通学路を歩いて帰った。
息子がこの春から小学校に入学するので、自分が小学生だった頃をちょっと思い出してみたくなったのだ。

僕が小学校を卒業してから25年がたった。原っぱだったところは住宅地になり、大きな畑があった場所も今はマンションが建っている。しかし当時の風景はまだまだ残っていて、あれがもう25年前とは信じられない。その通学路の面影と、あの頃の思い出がシンクロし、暖かくも切ない、何ともいえない気分になった。

自己というものがまわりとの関係性の中で存在しているならば、こういう風景やそれにまつわる思い出も、「自己の一部」といえるのではないだろうか。つまり自分の周りの環境は、「環境」ではなく、もはや「自分」なのだ。25年のグラデショーションを経て変わった通学路と、変わった自分自身、その二つの関係性の中で自我は「生きている」ことを確認し、過去を愛おしみながらも、未来に向かう原動力となっていくのだろう。

そんな理屈を考えながら、ふと我に返り、立ち止まって思った。

「この風景がいきなり無くなってしまったら、どうなってしまうだろう?」と。

その時初めて、3.11で被災した方々の「痛み」をリアルに感じたような気がした。

今まで在った風景や思い出が、一瞬で「無」になってしまった人々の痛みはいかほどだったのか。もちろん僕は経験していないのでわからないが、慣れ親しんだ通学路の風景に、津波で破壊されたあの風景を重ね合わせた時、その痛みを共有はできないにせよ、想像は十分できた。例え肉体は助かったとしても、関係性の中で形作られた自己は、街とともにガタガタに破壊されたに違いない。

3.11で突如土台が根底から崩され、壊れた自己を再構築できぬまま生きる人々。彼らがまた新たな関係性の中で新たな自己を築き、生きる活力を得る日が一刻も早く訪れることを願いたい。

外部に暮らしていると、「被災地」や「東北」とひとくくりにしてしまいがちだが、そこで暮らすのは傷ついた生身の人間である。よって本当に復興させるべきものは、「被災地」や「東北」ではなく、そこに生きる一人一人の「関係性」と「自己」だ。震災から4年がたったが、まだまだ時間は必要なのだろう。

 

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