美しくなくなった日本の四季へ

大した内容ではないけど、こんな記事が流れてきたので、ちょっと書いてみる。

坂上忍が厚切りジェイソンに「アメリカ帰れ!」と激怒 その理由に賛否両論 | しらべぇ 

厚切りジェイソンが「日本賛美の番組に出演した際、『日本には四季があるからすごい』といった内容を言わされる」んだそうだ。

海外に一度も行ったことがない人でも、赤道付近の常夏のエリアを除けば、どの国も四季があるのは知っているはずだ。それなのに日本だけ特別な四季があると思い込むのはいささか滑稽である。数年滞在していたアメリカでも春には桜が咲き、秋は美しい紅葉が見られた。日本の四季が美しいように、海外の四季もまた美しいのだ。

僕は四季が特別なのではなく、四季を受け止める日本人の感性が独特なのではないかと思う。桜や紅葉はいうまでもなく、満月を見ながら餅を食べるような、アミニズムを背景とした自然との付き合い方は日本人独特で、ここは「特別」といっていいかもしれない。最近はやりの日本賛美コンテンツが好きな方々が誇りたいのは、このへんなのではないだろうか。

とはいえ、ここ数年で、僕らは四季に対する付き合い方を変えねばならない事態に遭遇している。僕らが付き合ってきた「美しい四季」は、いつの間にか「気性が激しい四季」、または「態度が予測不能な四季」になり、僕らの手の負えないところまで来つつある。

夏の暑さは殺人的となり、僕らは窓を閉めて冷房をつけるしかない。そして今年も豪雨によってあちこちで大きな被害が出た。冬になれば今までありえなかった寒波や豪雪が局地的に襲い、そこに住む人たちの生活を麻痺させるのだ。春や秋になっても油断はできず、「季節外れの」極端な気象は、毎年ニュースになっている。

日本に住んでて地震が怖くないのか、と聞いてきたアメリカ人に、「日本は地震は起こるけど竜巻は起こらない」と言い返したのは15年前。今では日本は普通に地震も竜巻も起こる国になってしまった。

温暖化がもたらす自然の変化は、ただ気温が上がるのではなく、それによって気象が先鋭化し、極端になることだ。世界は温暖化を防止しようと躍起になっているが、もうすでに温暖化によって、地球の気候は、僕らが知っているものとは別のものになってしまった。

「日本の美しい四季」は、現総理大臣が昔スローガンにしていた「美しい国日本」と同じような、願望と妄想による幻想的なシンボルとなり、僕らの胸の中に、古き良き日本として存在し続けるだろう。しかし僕らが今向かい合っているのは、温暖化により気まぐれとなったニュータイプの四季であって、僕らは死なないようにその気まぐれさから身を守らなければならない。

…と冷房の利いた快適な部屋でタイピングしている自分がいる。いくら気象が厳しくなろうとも、マクロで見れば僕らは歴史的にかつてないほど快適な生活を送っている。

日本の四季は変わってしまったが、僕ら日本人だってとっくに変わってしまったのである。

 

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