子どもを幸せにするのは誰なのか問題 – 行動遺伝学と子育てについて

親になると、遺伝がどの程度子どもに影響するのかけっこう気になるもので、最近注目されるようになってきた「行動遺伝学」の本を何冊か読んだ。

その中で一番新しく、わかりやすく書かれたのが下記の本だろう。子育てをする上で、かなり参考になるので、親御さんにはオススメである。

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

ただ内容はなかなか身も蓋もないようなものばかりで、子育てに限らず、今まで経験してきた自分自身の人生を照らし合わせて、その意味やプロセスを再認識せざるを得なくなる本だと思う。

詳しい内容はすっ飛ばして結論のみを言うと、「親が子にできることはほとんどない」ということだ。

子どもの学力や将来の年収を含めたライフスタイル、要するに子どもがどのような人間になるかは、親の手でコントロールできる余地はほとんどなく、遺伝と非共有環境(親と一緒にいない時の環境)によって大部分が決まってしまう、とのこと。

いくら親が頑張ったところで、子どもの人生は「なるようにしかならない」。子どもは真っ白なキャンバスを抱えて生まれてくるのではなく、生まれた時点でかなりの部分に情報が書き込まれているのだ。

親ができることといえば、まず第一に心身ともに健康で社会に送り出してやること、あとは多くの選択肢を与え、子どもにフィットしたものを応援してやることくらいだろう。

僕はそのように育てられてきたので、この事実にあまり違和感はないが、子どもの幸せのために「頑張っている」親御さんにとってはショックな内容かもしれない。

子どもの幸せが親の切なる願いだということは、親になると痛いほどわかる。ただその強すぎる思いは、時に子どもを締め付け、不幸の要因として働いてしまうこともあるだろう。行動遺伝学の見地は、そのような暴走を発見し、落ち着かせることにも一役買う存在になるように思う。何より、子どもを幸せにするのは「誰なのか」という根本的な問いを考える機会になるだろう。

ここからは僕の意見だけれども、自分の子どもに限らず、自分以外の他人を「幸せにする」という発想は、おこがましいのではないか、と昔から思っていた。なぜなら幸せを感じるのは本人であって、外部の人間ではないからだ。

例えば人を助けるという行為は、困っている人を困らないようにすることであって、不幸な人を幸せにすることではない。問題解決の手助けはできても、それを相手がどのように感じるかまでコントロールすることはできないし、しようとしてはならない。

愛は地球を救うという番組が毎年批判されているが、そこで行われているような活動の、猛烈な違和感はそこにあるように思う。チャリティーの名の下に、困っている人を不幸だと一方的に決めつけ、彼らを応援することで幸せにしてやるというおこがましさ、そしてそれらを美しい物語としてパッケージするために、彼らの内面や価値観にまで土足で踏み入るような横暴さは、弱者を利用した自己満足のエンターテイメントと言わざるをえない。

親子の関係性の歯車がうまく回らなくなる問題の根底にも、実は同じようなシステムが働いてしまっているのではないだろうか。与える側からの一方的な価値の押し付けは、与えられるほうにとっては、負担であることが珍しくない。いくら愛しているからとはいえ、親に24時間テレビ的なことをされ続けたら、子どもはたまらないだろう。

子どもは親の持ち物ではなく、生まれ落ちた瞬間から、子どもの人生は子どものものであって、親子は別々のものである。なぜなら彼らはすでにオリジナルの遺伝子を持っていて、何が自分に合っていて、何に幸せを感じるかということは、彼らにしか発見できないからだ。親が子どもを幸せにするのではなく、幸せになるのは、あくまで子ども自身の役割である。

親がやれることはほとんどない、という行動遺伝学の身も蓋もない見地は、バトンを持っているのは子どもである、という当たり前のことを当たり前に教えてくれているように思った。

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

関連記事