差別されていない自分が「差別」について気をつけていること

今日、サッカードイツ代表のエジルが代表を引退するニュースを見た。

それはドイツの移民差別に失望し、代表のユニフォームを着る気がなくなったという、不幸なものだった。どこの世界でも、調子がいい時は寛容的だが、W杯のドイツのようにうまくいかなかった時は、不満の矛先は差別されている人間に向くものだ。

17年前、僕がアメリカに渡ってデザインのクラスを受け始めた頃だった。クラス後、ケビンというアフリカン・アメリカン(いわゆる黒人)の友人と一緒に家に帰った。

彼が「英語の調子はどうだ?」と聞いてくるので、「だんだんわかるようになってきたけど、黒人の発音はまだちょっとわかりづらい」と答えた。

すると彼が表情を変えて、「ヨウスケ、それは言ってはいけない。白人と黒人の英語は同じだ」と言ってきたのだ。

僕は意味がわからなかった。どう聞いても黒人には独特のイントネーションがあって、白人のそれとは違うのだ。

ただ、英語が話せず、クラスに馴染めてなかった僕を気にかけてくれ、世話してくれるようなやさしくて陽気なケビンが、真剣な表情をして忠告してくるので、これは人種差別的なことで触れてはいけないのだと、彼の説明を聞く前に推測できた。

これが僕がアメリカにいて、人種差別の問題に最初に触れた瞬間だったと記憶している。

今のアメリカには60年代以前のようなわかりやすい人種差別はないが、やはりその負の歴史は脈々と受け継がれており、差別を一度も体験せずに育った僕のような人間には、「これが人種差別になっちゃうの?」と驚かされることが度々あった。

幸い僕はフィラデルフィアというリベラルな街に住んでいたおかげもあってか、差別をされた経験は一度もない。しかし仮に差別されたとしても、僕には日本という何不自由なく過ごせる逃げ場、いわゆるホームがあった。

しかしアメリカの黒人たちや、エジルのような移民に逃げ場はない。ホームそのものが今も差別との戦いの場なのだ。そんな逃げ場のない運命を背負ってしまった彼らの、精神的な苦痛はいかほどだろうと想像すると、自分の差別に対する鈍感さを反省せざるを得ない。

「言葉の発音や、肌の色が違っていてもいいじゃないか」
「そんなに気にしないで胸を張って生きればいいじゃないか」

アメリカで予想外の人種差別的なイシューに出会った時、一瞬でもそう思ってしまったのは、差別されないホームがある僕の能天気な戯論だった。悪意ある差別とともに、無知から来る誤解・偏見もまた差別を助長するのだ。

彼らは「生きるために」差別と戦い続けなければならない。隙を見せれば人権すら蔑ろにされかねない戦いに、安易なポジティブ論は何の役にも立たない。そもそも彼らは怒りたくて怒っているわけではない。小さなことにでも怒ることをやめたら、勝ち取ってきた権利を再び失いかねない危機感とともに生きているのである。

日本にも移民やLGBTなど、今も差別に直面している人々がいる。僕は彼らと同じ立場に立つことはできないが、彼らには協力的でありたいし、彼らの痛みに対して、浅はかな励ましやポジティブ論で総括するようなことだけは避けようと思う。

差別の何がいけないのか。それはただ差別されている人が「かわいそうだから」という理由だけではない。差別の先に待っているのは、選民思想や優生思想から成る過激思想であり、その結末はナチズムやテロリズムという、誰も幸せになれない地獄のような世界であることは、歴史を見れば明らかだからだ。差別の刃は最終的に社会全体を蝕むのである。

最近日本の政治家でも差別を肯定するような発言を公然とする人間が出て来たので、これを機に書いてみた。

 

関連記事