祝・アメリカで同性婚が合法化!- 性と肌の色の多様性を考える

SNS上でレインボーカラーを多く目にするので、何事だと思ったら、米国の連邦最高裁判所が同性婚を「合法」という判断を示したみたいですね。

アメリカ最高裁が同性婚を認める その命令文が美しいと話題に | Fashionsnap.com

アメリカでゲイの人たちを身近に眺めてきた者として、とても感慨深いものがあります。宗教という分厚い壁に阻まれ、虐げられ続けてきた彼らが、ようやく人権を手に入れた記念すべき日です。僕が住んでいたフィラデルフィアはゲイに寛容な街なので、きっとお祭り騒ぎになっていることでしょう。

 ■自分は「Yellow(黄色)」だった

中学二年の時に、英語の先生がジョンレノンの「Happy Xmas (War Is Over)」という有名な曲を授業中にかけてくれたことがありました。その歌詞の一説が今も印象に残っています。

And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let’s stop all the fight

和訳すれば「黒人も白人も、アジア系もヒスパニック系にもハッピークリスマス、争いはやめよう」となり、英語の先生は人種を超えた平等と平和を訴えた歌だと力説していたのを思い出します(先生はちょうどジョンレノン世代でした)

ここで中二の僕は、初めて自分の肌の色が英語だと「Yellow(黄色)」と表現されることを知ることになります。もちろん世界には白人や黒人がいることは知っていましたが、自分が「黄色」というのにはかなり違和感がありました。

それと同時に「肌色」という色の名前も、考えてみればおかしな概念だということに気がつくわけです。今は国際化の流れで、「ペールオレンジ」とか「うすだいだい」という名前になっているらしいですが、当時は普通に「肌色」として、当たり前のように絵の具や色鉛筆に入っていました。

つまり、ジョンレノンの歌を聞くまでは、自分の肌の色は「肌色」だと、何の違和感もなく思っていたわけです。

 ■20世紀は人種の時代、21世紀は性の時代

そして時は流れて21世紀。Lady Gagaの「Born this way」という曲が世界中で大ヒットします。「あなたはこうなる運命の下に生まれたのだから、胸を張っていこう!」的なポジティブソングです。

その歌詞の中に、下記のような下りがあります。

No matter gay, straight, or bi
Lesbian, transgendered life
I’m on the right track baby

例えゲイでも、ストレートでも、バイセクシャルでも、レズビアンでも、トランスジェンダーでも、正しい道を進んでいるのよベイビー」という歌詞なのですが、これを見た時、21世紀のジョンレノン的な印象を受けました。

世界には、黒、白、黄色、赤に属する肌を持つ人たちがいるのと同じように、ゲイ、ストレート、バイセクシャル、レズビアン、トランスジェンダーの人たちがいる。20世紀は人種の壁を乗り越え、21世紀は性の壁を乗り越える時代なのだなと、新旧のスターミュージシャンの曲を聞いて思った次第です。

 ■自分たちを「肌色」だと思っていないだろうか

ここで思うのは、中二の僕が自分の肌は肌色だと思っていたように、ストレートである僕らは、自分らの性指向が「肌色」だと思っていないだろうか、ということです。

2011年の紅白歌合戦で、Lady Gagaが「Born this way」を歌いましたが、歌詞の字幕翻訳がおかしいと物議をかもしました。その中で僕が一番問題だと思ったのが、前述の歌詞部分を、「性的好みなんてどうでもいい」とかなり縮めた形で翻訳したことです。

ジョンレノンが、人種を「黒・白・黄色・赤」と表現したからこそ、自分が黄色であると認識できたように、「ゲイ、ストレート、バイセクシャル、レズビアン、トランスジェンダー」という表記があるからこそ、性の多様性を認識できるわけです。それを短縮した上に「好み」と訳されては、まるでストレート以外は、変な趣味を持っている程度にしか受け取られません。

僕らは、ゲイ、ストレート、バイセクシャル、レズビアン、トランスジェンダーというグループの中の、「ストレート」に属しているに過ぎず、世界にはそれ以外に属する人たちもたくさんいます。そしてこれは肌の色と同じように先天性のもので、自分で決めたり変えたりすることはできません。

その発想を持たずに、ストレートは正常で、それ以外は異常、という思い込みを持ち続けるならば、それは自分の肌の色が「肌色」だと思っているようなものです。多様性のある社会を望むならば、まずはその「肌色的思考」をやめ、自分は数あるグループの中の一つに属している認識を持つことでしょう。

いつか自分の性指向がどうであれ、何の制限も受けないような社会システムが、世界中で確立することを願います。その大きな一歩として、今日の米国最高裁の判断は大変喜ばしいニュースでした。もし今自分がフィラデルフィアにいたら、みんなで喜びを分かち合えただろうな〜と思いつつ、祝いの曲として「Born this way」を聞いて寝ようと思います。

 

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