労働に価値もなければ尊くもないっぽい(今日の社会観測)

やっと暑さがひと段落してきた日の昼下がり、素敵な記事を見つけました。

働くなんて「余暇活動」でいい ボーナスは同じ スタートトゥデイ社長の前沢友作氏が語る(下)

大変いい意見ですね。もっと広めたほうがいいと思います。

日本は生産性が低いことが指摘されて久しいですが、いまだに日本人の「働きすぎ」はいっこうに治まる気配が見えません。それでいながら、こんなファクトも指摘されていたりします。

「給与が下がっても勤務時間を短くしたい」という回答、 日本がグローバル比較で1位に

これを見ると日本人の労働観ってホント歪んでるな〜と思っちゃいますね。「働かざるもの食うべからず」病とでもいいましょうか、病気というのは言い過ぎかもしれませんので、「盲信」してるとでも言ったほうがいいかな。

いまだに労働を尊いものとする道徳観がある一方、社会では「労働者」に大した価値を置いてません。それは現場で「一生懸命働いている人」の境遇を見れば明らかでしょう。ここ10年で彼らの賃金は下がる一方であり、それと比例するように、社会的評価も右肩下がりです。その一方、株や土地などでいわゆる「不労所得」を得ている人たちの所得は右肩上がりを続けています。

この現実を見れば、働かざるものがたくさん食えて、働くものは食うべからず、になってるんじゃないの?と思わざるをえません。労働が尊いとか、働く人が偉いとか、そのような道徳観は、現実を見れば「建前」にすらならないのではないか、と現場の労働者に対する社会の「扱い」を見て思います。

そもそもこの国は共産主義ではなく、資本主義です。その意味でいえば、価値があるのは「資本」であり、「労働」そのものではありません。資本主義の理想は最小の労力で最大の利益を出すことですから、労働のコストは安ければ安いほどいいわけです。

日本が焼け野原になった数十年前は、国民の労働力を総動員しないといけない時期があったのは確かですし、その労働力によって日本は発展しました。その頃の労働は確かに大きな価値があったのでしょう。しかしその後、労働力は賃金の安い国に移され、最終的には機械に代替されるのがこれからの時代です。

ということで、労働とはできるだけ「やらないほうがいいもの」であり、必要以上の労働は「無駄」に他ならない、というのが現実的な答えなのではないかと思いますね。労働が尊いと思い込むのは人の勝手ですが、尊いのは資本です。その意味でいえば「不労所得」こそが最高峰に尊いものであり、目指すべきもの、だと思います。

日本は「労働」が神聖化されているので、こういうことを言うと怒り出す人もいるのですが、重要なのはこの現実を見た上で、どう「労働」に向き合うか、だと思うんですよね。日本人は労働に対してもっと主体的になるべきです。いまやっている労働が、自分の人生にとってどのような価値があるのか、真剣に考えるべき時代が来ていると思うのです。多くの人が時代錯誤な労働幻想に囚われている限り、労働法などの表面上のシステムを整えても、日本の労働環境の根本的な解決にならないでしょうから。

労働は必ずしも「しなければいけないもの」ではなく、「したから救われるもの」でもありません。生きていく上でのひとつのオプションでしかなく、どのように労働に関わるかは個々人の自由です。仕事が好きな人はガンガン労働すればいいと思いますが(この方のように)、それ以外の人は、まあ、前沢氏のいうように「余暇活動」くらいの意識で考えたほうがいいんじゃないですかね。嫌々やっていることなんて、大した価値ないですから。

今日はこれから朝まで仕事です。

 

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