「成功している人」はどこにいるのか問題

夜に天神TSUTAYAのスタバに行き、読書してきた。

今読んでる本はこれ↓

天才たちの日課

天才というより、学問や政治、芸術など、様々な分野で歴史的な功績を挙げた人たちの日常生活を、簡単にまとめた本だ。アインシュタインとかマルクスとかモーツァルトとか、そういう人たちね。そういういわゆる偉人と言われている人たちの仕事術や人生訓ではなく、ただただ日常的な生活にのみフォーカスしている本は珍しいと思う。

この本が面白いのは、そんな「偉人」な方々の日常生活が、意外に平凡で、大して「面白くない」ことだろう。

驚くほど真面目なわけでもなく、驚くほど自堕落なわけでもない。仕事をたくさんしてる人もいれば、大してしてない人もいるし、朝型もいれば夜型もいる。規則正しい生活を心がけてもうまくいかずに悩んでる人もいれば、だらしがない生活でもあまり気にしていない人もいる。

要するに、みんな誰でもしてそうな普通の生活を営んでいるわけ。歴史的に名をなすような偉人に対して、僕らはどこかで自分らとは違う「何か」を期待してしまうものだけど、日常生活にフォーカスすれば至って平凡なんだよね。

そんなことを思いながら、TSUTAYAのブックコーナーを歩いてみれば、今日も自己啓発的な「成功本」が多く平積みされている。その中には「成功している人」の働き方とか、習慣とかが書かれているんだろうけど、その「成功している人」は一体どこにいるのだろうか。

僕が読んでいる本には、世界的に成功した(と思われている)偉人たちの、時に悩んだり、愚痴をいったり、うまくいかない日常を自己弁護したりしながらも、試行錯誤して頑張っている、僕らと変わらない日常生活がある。そして平積みされている成功本には、仕事がうまくいって、お金もあって、人生何も困ってなさそうな「成功している人」の日常生活がある。

結論からいえば、「成功している人」は実際にはいないのであろう。
しかしそれでも僕らにとって「成功している人」は必要なものなんだと思う。誰もが理想郷を求めるように、まだ見ぬ「成功している人」に夢を見て、そこに自分も行けるという希望を抱く、それは僕らが日常を生きる姿勢の中に、潤滑油的な機能を与えてくるものだと思う。

ゆえに「成功している人」は実在しないし、実在してはならない。
隣の芝が青く見える、しかし、世界にはもっと素晴らしい、文句のつけようのない完璧な青さの芝が、どこかにある。そう思えるだけでいい。

僕も、ほかの人も、歴史的偉人も、みんないつか「成功している人」になりたいと思いながら、思うに任せぬ日常生活を送っているのだろう。「成功している人」は、今日も僕らのイメージの中でさんぜんと輝きながら、夢のような生活を送っている。

スタバの帰りに食べた松屋の牛丼は今日もうまかった。

 

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