トランプと正しさの間にあるバロメーター(今日の社会観測)

今夜は寒い上に風が強い。こういう日は家にいることを幸せに感じる。

現在、アメリカでは大統領になったトランプが就任演説をしているようで、Twitterはそれで持ちきりである。いつも通り彼に対するネガティブなコメントが多く目につくが、ポリティカル・コレクトネスに真っ向から勝負を挑み、見事に打倒して勝利した彼に、正しさ側からいくら石を投げたところで、虚しいだけだ。

そもそもトランプ自身は単なる口の悪い強情なおっさんに過ぎない。問題は何が彼を大統領に押し上げたかだ。くどいほどにポリティカル・コレクトネスを政治家に求めてきたアメリカが、なぜここまで「チェンジ」したのか、その要因はとても興味深い。

結論を述べてしまうと、アメリカ国民の「余裕のなさ」だろう。簡単なことだけど、けっきょくたいていの物事はここに行き着いてしまうし、「余裕」ほど貴重で尊いものはないと、歴史を学ぶと強く感じる。

公正・公平・中立的、差別のない社会、そんなポリティカル・コレクトネスは素晴らしいし、僕もそうあってほしいと思う。でもそれを支えるのは人々の「余裕」であって、余裕がなくなってしまえば、正しさなんて砂上の楼閣だ。正しさでは腹は満たせないのである。

差別反対とかそんな流暢なことはもう言ってられない、アメリカの余裕のバロメーターは、そのようなレベルまで来てしまったということだろう。

差別とはすなわち「縄張り争い」だ。余裕がなくなればなくなるほど、人々は生きるために自分の縄張り、自分の取り分を守ろうとする。トランプが主張したことを簡単にまとめれば、「君らの縄張りを取り戻す」ということだろう。ポリティカル・コレクトネスとグローバル社会という「正しさ」は、皮肉なことに、アメリカのマジョリティの余裕を奪ってしまい、その結果オセロをひっくり返したような人物がトップの椅子に座ることになった。

ヒラリーが勝つと思っていた世界の人々やメディアが見誤ったのは、アメリカが予想以上に余裕をなくしていたことだろう。いくら美しい理念を語ったところで、無い袖は振れないのである。

前述したように、トランプはどんなに掘っても単なる口の悪いおっさんだ。彼は国民が作り出したアイコンに過ぎないわけで、その本質には人々の余裕のなさがある。それと同じように、ポリティカル・コレクトネスも、ヒューマンライツも、世界平和も、単なる幻想に過ぎず、それを支えるのは人々の「余裕」である。

だからそんなアイコンや幻想に一喜一憂しても仕方がないわけで、どうやったら自分や社会の人々の余裕を作るかに注力してものを考えたほうがいい。もう今までのやり方が通用しないのは明らかなのだから、これからはベーシックインカムのような新しい制度や仕組みを積極的に取り入れていくべきだろう。

とはいえ、経済難や紛争やテロ、それに伴う難民、さらに気候変動などに翻弄され続ける世界を見る限り、今後も人類の余裕は下落方向なのは間違いなく、そんな時はろくなことが起こらないのが歴史の教えなので、あらゆる事態にそなえつつ、今後も世界各国の余裕のバロメーターを注意深く観測していこうと思う。

やっぱり余裕がないとダメだね。人間も文明も。

 

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