東京オリンピックのエンブレム騒動にとりあえず言っておきたい

画像: 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会

 

何かと迷走感が否めない東京オリンピックですが、今度はエンブレムがベルギーの劇場のロゴマークと酷似しているという、新たな問題が出ているみたいですね。

僕がこの騒動をニュースで知ったときは、「あちゃー、作ったデザイナー大変だな…」と思ったのが正直な感想です。おそらくグラフィックデザインで仕事をしている人は、僕と同じような同情的な感情を抱いたんじゃないですかね。

せっかく作ってコンペも通ったのに、何らかのトラブル(今回の場合は既存作品との類似性)で作り直しなどの対応を強いられたり、案件自体が立ち消えになってしまうことは、現場で働いているとたまにあるわけです。

しかし世間では注目度が高い分、これに乗じて陰謀論や、制作者を悪人にして責め立てるような記事もちらほら出てきました。彼らの主張は、制作者がロゴを「盗作」し、バレたので逃げ回っている、という種の論調がメインのようです。そんな人たちには一応、「それは違うと思うよ」と言っておきたいです。国立競技場は正直よくわからないですけど、今回のエンブレムは専門な分普通の人よりかは知っているので。

 

■ロゴやマークの逃れられない外見上の類似性

ロゴやマークというのは、一目で認識されるように、ある程度シンプルにならざるを得ません。そしてシンプルにすれば、形の多様性は絞られていき、外見上はどうしても似たような形のものが多くなってしまうわけです。今回のような幾何学的な単純図形の組み合わせだと、なおさらその傾向は強まることになります。

例えば「日の丸」ですが、イデオロギー的に論争はあるにせよ、デザイン自体は、白地に赤い丸という究極的にシンプルな図形でありながら、見事に日本という国のイメージを内包している意味で、大変優れたロゴ、またはマークだと思います。しかしだからといって、他の赤い丸をメインにしたロゴが、すべて「日の丸に酷似している」なんて言われるようでは、新しく生み出すデザインの幅は絶望的に狭まってしまいます。

ロゴは色や形以前に、そこに含まれるコンセプトやフィロソフィーこそが重要であり、外見よりもその元となる思想の中に差異を見いだし、認め合っていくのが理想的なのではないかと思います。

そして今回のオリンピックのエンブレムに含まれる思想は、下の映像で視覚的にわかるのではないでしょうか。

僕はこのエンブレムが作られた詳しい経緯は存じてませんが、TOKYOの「T」と日本の日の丸や五輪の「丸」を視覚的に融合させた結果生まれたマーク、という解釈で間違いないように思います。そこにはきちんとした「オリジナル」な思想が存在しており、外見的には似ていても、「盗作」を否定できる論拠は十分にあるのではないでしょうか。

そしてベルギーのロゴと、オブジェクト間の比率まで似てしまったのは、黄金比という言葉があるように、美しく見えるバランスを追求すると、どれも一定の比率にたどり着いてしまうんですね。

 

■オリンピックはデザイナーのオリンピックでもある

日本のグラフィックデザインの歴史を見ていきますと、1964年の東京オリンピックを抜きにして語ることはできません。あのオリンピックのビジュアルに関わったデザイナーが、日本のグラフィックデザイン業界の歴史を作る主軸として活躍し、今では巨匠となりました。

つまりグラフィックデザイナーにとっても、出場する選手と同じように、自国開催のオリンピックのデザインに関われることは、一世一代の晴れ舞台でもあります。

そんな状況から推測して、デザインに人生をかけ、オリンピックのデザインに関われるような一流のレベルまで登りつめた人が、この大一番で「盗作」を発表するなんてことは、常識的に考えられません。

なんせ確実に歴史に残るわけですから、自分の持てるクリエイティビティを最大限発揮したくなるのがデザイナーとしての心情であり、盗作するメリットはほとんどない上にリスクが大きすぎるのです。

今回のエンブレムを作ったMR Designの代表である佐野研二郎氏は、オリジナリティのあるビジュアル作りで定評のある方です。彼の今までのデザインを見れば、このエンブレムに彼のデザイン観が反映されていることは、なんとなく納得できると思います。

 

■なるべく早い解決を

これはグラフィックデザインだけではなく、すべての「創作」に言えることですが、自分が作ったものが、たまたま他者がすでに作っていたものとそっくりだった、ということはよくあることです。

世界広しといえども、美しい色や形、そして音楽など、人々が感動するものには、一定の法則があり、それを追求すると、やっぱり多少は似てしまいます。

そして残念ながら、作ったものがすでにあるものと似てしまった場合は、修正するなり、別の角度から作り直すなりすればいいのです。それが制作者としての真摯な態度だと思います。

しかし今回のように、結果的に似てしまったものに対して、制作者を意図的に悪者に陥れるような一部の風潮は、制作の現場から見てけっして看過できるものではなく、制作活動の自立性を保つ意味でも否定しておきたいと思います。

今回のオリンピックのエンブレムと、ベルギーの劇場のロゴは、類似性に関してはかなり微妙なラインにあると思いますので、適切な場で判断をあおぎ、最終的な落としどころを見つけ、早急に解決されることを願います。騒ぎが長引くことは双方のデザイナーにとって良いことにはならないでしょう。そしてデザインが政治上の駆け引きや、ワイドショーのネタレベルの観点で語られることは、すべての制作者にとって、大変不幸なことです。

 

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