アラフォーになると運動が楽しくなる法則について

すっかり涼しくなってきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。

東京から福岡に戻ってきてから1ヶ月、毎日のように走ったり筋トレをしたりしています。運動は嫌いではないので、今までもたまに走ったりしていましたが、ここまでコンスタントに続けているのは初めてです。

理由としては、「自分の体に対しての見方が変わったから」というのが一番的を得ていると思います。

東京にいる時、何度か古くからの同い年の友人たちと会う機会があったのですが、なんかこう、今までの10年、20年の付き合いでは感じなかった変化を、察知してしまった次第です。具体的にいえば「若さの終わり」といいますか、「おじさんの入り口」といいますか、「老けた」とはまだ言えないけれども、青年から中年へと向かっていく道筋が見えるような感じがしたのです。そして彼らがそうならば、自分だって同じなのだろうと、帰り道に少し切なくなりました。

ついに20代からの「若さの惰性」は尽き、いよいよ自分の体というものに、真剣に向き合わねばならない時が来たことを実感した37の夏でした。

そんな理由から始めた運動なので、今までの運動とはだいぶ違うものとなっています。

まず僕は子どもの頃はサッカー部で、だいぶハードに鍛えられたのもあってか、どうしてもトレーニングとは、「苦しいもの」でなければならない、という意識がありました。英語の「No pain, No gain(苦労なくしては利益はない)」という言葉通り、いかに自分を追いつめるかが重要だったわけです。

なので筋肉痛で体が動かなくなるほど筋トレしたり、限界まで走り込んだりしてたわけですが、スポーツ選手でもない限り、そんなものをコンスタントに続けることは難しいでしょう。案の定僕も、最初は威勢良く始めても、ちょっと仕事が忙しくなったりして中断すると、そのままやらなくなってしまうのが毎度のパターンでした。

ただ目的は「腹筋を割りたい」とか「体脂肪を落として引き締めたい」みたいな感じで、達成してもしなくてもさほど違いないような曖昧な落としどころでしたので、続かないのも当たり前といえば当たり前でした。

しかし「中年の入り口」に差し掛かった今回の目的は、そんなファジーなものとは全く別次元です。ついに老いという生命体として避けられないエントロピーへの挑戦の始まりであり、死ぬまで続く長丁場です。自分を追いつめるようなトレーニングは、続かないどころか、身を壊す原因にもなってしまうでしょう。

ということで、ほどほどといいますか、無理のない形でコンスタントに続けられるように工夫しながら運動を始めたわけですが、やってみると何かといいことがありました。とにかく何でもいいから動く、「動くことは得」と意識付けすると、家事や掃除をするだけでも「ちょっと得したな」なんて思えたり、苦しくない程度の速度で走るランニングがこんなに気持ちいいものなのかと、37になって初めて気づいたりしました。

そして当然、運動すれば肉体だけでなく精神にも良い作用をもたらすので、今のところけっこう気分のいい生活を送れています。まあこれは9月の心地いい気候によるものかもしれませんが。何にせよ定期的な運動は生活に張りをもたらしてくれることは確かなようです。セロトニンも増えるみたいですしね。

今、村上春樹さんの「職業としての小説家」という本を読んでいますが、彼も毎日ランニングをしているそうで、それは年老いても、小説を毎日書き続ける体力・集中力を保つために必要なことであり、ものを作り出す根源としての健康管理の重要さを、一章を割いて書かれていました。おそらくこの本を去年手に取っていたら、そのパートは軽く読み流していたのでしょうが、今はうんうんと激しくうなずきなら読んでいる次第です。

40歳あたり(いわゆるアラフォー)からやたらと運動にハマったり、体をガチガチに鍛える人たちを見て、あれはなんでなんだろう?とずっと思っていたのですが、なんとなくわかるような気がしてきました。簡単にいうと肉体の衰えに焦って運動し始めたら、予想以上にいいものだった(効果があった)、というような理由が大きいような気がします。

若い頃は危機感がありませんから、動いたり疲れたりすることは損でしかありませんでしたが、この年になると「得」となり、それが実感する形で戻ってきますからね。ちょっとした危機感と爽快感の相乗効果といいますか、一度自分の体について、付き合い方を考え直す時期なのかもしれません。ああ僕もそんな年になってしまったのか。

僕は年をとればとるほど、人生は面白くなっていくと思っています。なぜなら知識や経験が増える分、この世界を立体的、多面的に把握し、楽しむことができるようになるだろうと思うからです。しかし楽しむのには当然体力がいりますから、「若さ貯金」がなくなったことを気づいた今から、また新たな気持ちで体力の貯金に励もうかと思う次第です。

ひょっとしたら、このままいくと50歳を迎える頃には長渕剛のようになってるかもしれない…とこの文章を書きながら思う雨の夜です。できれば長渕剛より稲葉浩志になりたいのでそこのところよろしくお願いします。

職業としての小説家 (Switch library)

 

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