問題の居場所が答えの居場所

今日は忙しくなるぞ!と身構えていたら、直前になってリスケになり、いきなり時間ができてしまった「空白感」をうめるためにブログでも書こうと思います。

僕は普段は福岡に住んでいるのですが、たまに用があって東京に戻ると、毎日のように人と会います。そこで仕事やプライベート関係なく、紹介で新しい方々とお知り合いになり、その後はFacebookで繋がるケースがよくあるんですね。Facebookは有名なだけに賛否両論いろいろ言われていますが、気を使うことなくゆるく途切れずに繋がっていられる利便性はかなり重宝しています。

ただ僕のようにゆるく楽しめる人ばかりではないようで、下記のような記事も出てきてしまうわけです。

人をイライラさせるだけのFacebook投稿を知っておこう | ライフハッカー[日本版]

「こんな投稿をすると見ている人をイライラさせるので気をつけよう」という記事なんですが、どう考えてもイライラする原因は投稿者ではなく、見る側の問題ですよねこれ。

これはFacebookに限らず、あらゆる場面で感じることなのですが、何か不快な気分になった時に、その問題の居場所がどこにあるのかを理解することってとても重要というか、その判断を誤るとその後いろいろこじらせちゃうと思うんですね。

例えば僕は夏の満員電車が嫌いです。なぜなら汗をかいたおじさんがたくさん乗っていて気持ち悪いからです。この場合、問題は汗をかいているおじさんにあるのではなく、それを気持ち悪いと思う自分の「不寛容さ」にあります。それさえわかれば、不必要におじさんを責めることはありませんし、自分の不寛容さの原因に対処するだけでよく、それ以上負の感情を募らせたり、撒き散らしたりすることはなくなります。問題の居場所がわかれば、答えの居場所もわかりますからね。

しかし世の中には、汗をかいたおじさん的なものに、片っ端からマシンガンを撃ちまくってるような人を度々見かけます。その典型的な例が上記の記事のような、人の話や振る舞いに、いちいち文句をつけるような行為ですね。スルーすれば何の問題もないことを、いちいち問題化させてしまう、その要因はおそらく自分の中にある「本当の問題」でしょう。それがわからずにマシンガンを撃ち続けるのは、周りはもちろん何より本人にとって不幸なことだと思います。

そんな僕も深夜にうまそうなラーメンの画像をFacebook上で見つけて感情が高ぶることがあります。しかしそれも問題は僕がお腹が空いているからで、空腹が満たされればすべては解決するとわかれば、「この飯テロリストめ!滅べ!」と書き込んだり、「ラーメンに消費税をかける安倍政権を許さない!」などと全く関係ないものに怒りをぶちまけることもないわけです。まさに心の平和は理性の賜物ですね。まあ日常にありふれてるイライラなんて、ほとんど「深夜にラーメン見せられた」のと同じような構造だと思います。

目に映る世界は、自分の映し鏡的なところがありますから、もしもイライラするようなことがあれば、問題の居場所を外部に求める前に、内部を探ってみるのがいいですね。イライラする時こそ、自分の中をメンテナンスするタイミングなのかもしれません。

それでは皆さんハッピーな週末をお過ごしください。ピース!

 

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