好きなことをするとはスムーズに呼吸すること(タグボートアワード展を終えて)

もう1ヶ月もたってしまった遅すぎ日記。

3月の中旬にタグボートアワードのアートコンペの入選展が、世田谷ものづくり学校であり、僕も入選したので参加させていただいた。

いつも通りレセプションパーティではいろんな人とたくさん話し、終了後は六本木のスタバでホッと一息ついた。

展示会が終わっていつも感じるのは、運動して汗をかくような、デトックス的な爽快感だ。

自分の中に溜まっていたものを出し切った気持ち良さ。自分にとって展示会こそが最高のアウトプットの場なんだなと実感する。特に今回は面白いアーティストがたくさんいて、とにかく話していて楽しかった。

僕は普段、手当たり次第様々なジャンルの本を読んでいて、そこには物理学や宗教など、人に話しても、正直なかなか理解されない内容のものが多い。とはいえ自分では面白いと思っているので、相手に伝わるようできるだけ噛み砕いて話す努力はするけれども、それでもすべて伝えるきることはできないし、注意しないと「こいつは何を言っているんだ」的に引かれてしまう。

しかしそこがアートならばできるんだな。表現している内容が難解であっても許されるし、アーティストという立場である以上、世間の斜め上あたりの発想はむしろ歓迎される。そして正直理解されなくてもかまわない。

ただ出す。考えていることを手加減なしに出し切る。

作品として自由に表現し、説明として言葉に落とす。

そのような情報のインプットとアウトプットの「呼吸」が、スムーズに行われるスキームとして、自分にとって作品を作り、発表することに価値があると思ってる。

人によっては、その呼吸は文章を書くことかもしれないし、写真を撮ることかもしれない。話がうまい人は直接人に話して評価されるだろうし、スポーツやダンスをすることで非言語的に行う人もいるだろう。パソコンを作って宇宙に衝撃を与えようと、激しい呼吸をする人もいた。

僕は人間の根源的な価値は「好きなことをやる」ことだと思っていて、好きなことをやれていればたいていは健全でいられると思ってるんだけど、それは好きなことを通して情報の「呼吸」をスムーズにしているからと言い換えることもできると思う。

3月は展示会以外でもいろいろ忙しく、何かとアウトプットが多かったので、今月はだらっとゆっくり息を吸い、次の展示会に備えたいと思う。

 

ちなみに今回出した「曼荼羅β」という作品と、その説明はこんな感じ↓。

曼荼羅β = 平行世界の一枚絵 =

物理学の分野では、量子のもつれにより多数の世界が平行的に存在しているという多世界解釈(パラレルワールド論)や、宇宙は多数あるというマルチバース論、この世は11次元で構成されているという仮説を元に展開される超弦理論など、現世界とは違う世界や宇宙、次元が平行的に存在しているという説を多く目にします。
視点を自分自身のいる現実に移してみても、数ある可能性とその後に続く世界は平行的に多数存在しており、それらを選択することで、私たちはいくつもの平行世界を横断しながら生きているわけです。選択を変えること、または解釈を変えることで世界は変わる、逆に考えれば、私たちもまた、解釈や可能性の数だけ平行的に複数存在しているとも言えます。
エントロピーの法則から出ることができない私たちは、過去→現在→未来へという方向でしか進むことができませんが、その時間軸より高次の次元があるとすれば、過去も現在も未来も同じ地平の上に存在しているはずで、実は平行的に存在するすべての世界、宇宙、次元もすべて、一つの一枚絵なのかもしれません。
そのような宇宙観を究極の一枚絵である「曼荼羅」の概念を借りてイメージ化を試みました。
人間が認識できる数字がついた平行世界とともに、知覚できない世界もきっと多く存在しているだろうというロマンが、この作品を光り輝くものにしました。そこは別次元、または別宇宙かもしれませんし、涅槃のような悟りの世界、安らぎの世界かもしれません。それは煩悩と涅槃はまったく同一であるという龍樹(ナーガールジュナ)の言葉が表す通り、すべての平行世界は深層でつながり、一枚絵のように同一のものとして存在しているのでしょう。

 

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