サピエンスは再び移動を始める

先日東京の自宅で本棚を整理していた時に、懐かしい雑誌を見つけた。

2000年の雑誌で、特集はNYで流行っていたSOHO特集だ。NYで自宅や小さなオフィスでビジネスをする人たちが増え、SOHO(ソーホー)という呼び名で話題になった。その延長線上でノートパソコンを持ってカフェや野外など、特定の仕事場以外の場所で仕事をする、いわゆるノマドの先駆けのような人たちも載っていた。

なんで15年以上もその雑誌が捨てられずに残っていたかといえば、当時その働きかたに痛く感銘を受けたからだ。当時学生だった僕は、雑誌に出てくるような身軽で可動的な働き方に感動し、自分も将来こんな風に世界をまわって仕事をしたいとワクワクしたものだ。

それから17年たった現在、僕が学生時代に夢見た「世界を移動しながら仕事したい」という当時は想像し難かった働き方は、実現可能どころか、むしろ「それが普通」な世界になりつつある。

LCCの台頭で移動費は格段に安くなり、AirbnbやUberなどのいわゆるシェアリングエコノミーで移動に関するフレキシビリティは高くなり、さらにiPhoneや薄型ノートPCの登場で、仕事道具もコンパクトになった。「動きやすさ」への価値の高まりは今度も続くことだろう。

少し前に「サビエンス全史」という本を読んだ。そこで面白かったのが、農業革命は人類の発展に大きく寄与している一方、人間一人ひとりの幸福にはマイナスに働いたのではないか、という指摘だ。

詳しい内容は本書に譲るが、確かに農業と定住によって人類は、食料と生活場所の安定を手に入れた(と思っている)が、その代償として、狩猟時代の自由や状況変化に対する柔軟性を失い、権力への服従や格差、文明や組織を維持するために発生するストレスに悩まされることになった。

エジプトでとある市民の日記が話題となった。その日記の内容は、横暴な上司に悩まされたり、不真面目な部下に手を焼いて、一時期は思いつめて不眠症になってしまうという、社会人にありがちな苦労話だった。面白いのは、その日記の著者は現代の社会人ではなく、2500年以上前のピラミッド建設に関わる「社会人」によるものだということだ。

定住社会のストレスはけっきょくのところ、「動けない」ことによる人間関係やシステムから発生するものであり、それは数千年間何ら変わることなく現代に引き継がれてしまっていることが、日記の内容からよくわかる。

デジタル技術を背景にした、NYのSOHOブームから現在のモバイル的な環境への流れを見ると、人類は農業革命によって失った「移動の自由」を再度取り戻そうとしているのではないかと最近思う。

農業の開発により生まれた文明社会は人類を大きく進歩させ、豊かにした。人類が約1万年前に始めた「定住実験」はある意味では大成功だったといえよう。しかし定住により発生した、数千年かけても解決できない不都合と、移動への渇望を変えることはできなかった。

グローバル社会とは、すなわち大移動社会だ。人類は生きるために移動するという、ホモサピエンス本来の姿に戻ると同時に、人も物も情報も地球を縦横無尽に、高速に駆け巡る、かつてない高速移動社会という実験を始めている。

それにより、新たな不都合が発生しているのは、毎日のニュースを見ての通りだ。しかしこの実験は今後も加速していくことだろう。農業革命の時にそうだったように、この時代に生きる僕らは、この人類の新しい実験への拒否権はなく、強制的かつ自動的に参加させられている。その状況はこの21世紀を生きる上で、最低限理解しておかなくてはならないだろう。

そして17年前に、SOHOに感動し、移動しながら生きることに夢見る学生だった僕は、その実験に喜んで参加している一人であることは間違いない。あの頃の自分に、今の状況を説明したら大喜びすることだろう。

先行きの見えない、不安定な時代だとメディアは騒ぎ立てるが、自分にとっては違和感のほうが大きい。アフリカ大陸から移動を始めた人類にとって、将来はいつも不透明だったはずだ。それでも彼らは移動した。移動したから生き延びることができた。

逆に考えれば先行きの不透明さこそ、人類の知恵や繁栄の原動力だともいえるはずだ。不透明だからこそ移動するのだ。人類の新しい移動実験は、まだ始まったばかりである。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

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